田村律之助とは

田村律之助とは

大平町西水代村出身。

知新館(現大平南小学校)卒業。明治時代の農業の先覚者・指導者。

明治期にいち早くビール麦(二条大麦)の栽培を導入・普及させた功労者。下野農会(現在のJA)の基をつくった人物。

太平山あじさい坂に胸像が建つ。 大正10年、ジュネーブの国際労働会議に日本の代表として出席。 

日本の農村労働について児童や婦人の労働問題に演説した。 

律之助の主な業績

①ビール麦の契約栽培をいち早く導入し、
今日の全国一のビール
麦の普及させた最大の功労者

②麦米の奨励品種の選定・普及

③養蚕の奨励・畜産の改良

④農会運営の整備改善

⑤児童の人権・婦人の労働条件の改善にも尽力 

田村律之助の功績

明治40年代 栃木県の農業振興改善に努める

田村律之助の偉業

栃木県内にビール麦の契約栽培を導入、普及させたことから「ビール麦の父」と呼ばれる

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